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●仕事で障害福祉に関わるなかで
私の経歴を申しあげますと、昭和45(1970)年に厚生省に入りました。それからいろいろな仕事をしましたが、障害福祉の仕事に初めて関わったのは、昭和60年、北海道庁に行き福祉課長をした時からで、そこで2年間福祉課長を務めて厚生省に戻ってきました。最初の厚生省での課長ポストは児童家庭局障害福祉課長でした。まさに障害児・障害者に関わるポストで、昭和62年の9月から平成元年の6月まで務めました。この仕事は天職だと私は思いました。
本当はボランティアでしても良いと思っていましたので、給料をもらっていいのだろうかというような、毎日めくるめく、心ときめく幸せな日々でした。生まれて初めて、日曜日の夜になると『わー」と燃えてくる感覚を経験しました。それまでの人生は大体、皆さんにも覚えがあるかもしれませんが、日曜日の夕方ぐらいになると「ああ、明日からまた学校だ、会社だ」と重い気分になる月曜病というものでした。ところが、あの頃は「明日からまた仕事ができる」などと殊勝に思ったものでした。私の生涯1回きりの経験でしたが、そういう障害福祉課長の日々でした。
たくさんの魅力的な人たちにも会いましたし、仕事自体も魅力的でした。しかし幸せというのは長くは続かないものです。1年9ヶ月でクビですから。役人とはそういうものです。辞令1枚で「はい、次どこ行きなさい」。人事で「君、今度どこへ行きたいかね。今の仕事に満足している?それでは10年いなさい」などという役所はありません。わが厚生省もそうでした。このままずっと生涯、障害福祉課長でもいいというようなことを言ってましたが、1年9ヶ月で「はい、クビです」と言われてしまいました。
そのあと今度は社会局生活課長というポストに就けさせられました。社会局生活課長という名前だけを聞いてどんな仕事をしているかイメージが浮かぶ方がいらしたら、とっても珍しいと思います。厚生省児童局障害福祉課長はどういう仕事をするのか、大体分かります。障害福祉の仕事をするんだな、障害児に関わることだなとすぐ分かります。厚生省社会局生活課長。なんですかそれ?私もそう思いました。そうしたら「いっぱいあるんだって」と言われました。婦人保護の問題、婦人保護といえば聞こえがいいですが、これはもうちょっとおどろおどろしい仕事で、売春防止法に基づく婦人保護の仕事です。女性に対する人権侵害の究極の売春、その淵に沈む人たちに対する、婦人保護という仕事があるのです。それから同和問題、アイヌ・ウタリ問題、公益質屋の問題などがあります。厚生省の管轄でそういう仕事があり、私が所管していました。当時は世帯更生資金といってました今の生活福祉資金、ちょっと生活が一瞬のあいだ困るという方に低利でお金を貸すという仕事がありました。それから授産施設のとりまとめの仕事もありました。さらに生協、消費生活協同組合の仕事がありました。これから、お話しするのはその部分です。●在宅の福祉現場を見て気がついたこと
今度は社会局生活課長の仕事をと言われて、かなり打ちひしがれていましたけれども、生協というのがその仕事の中にありました。私が生活課長になる辞令をもらったその日に「生協における福祉活動のあり方について」という報告書が出ました。私の前任者が作っ

 

 

 

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